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埼玉土建の歴史と活動④
【埼玉土建本部】
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不定期で、埼玉土建の歴史(ダイジェスト)を紹介していきます。
皆さんに埼玉土建の事をもっとよく知っていただけると嬉しいです。
【第4回】埼玉土建一般労働組合の結成まで④
埼玉土建結成の意義
埼玉土建の結成は、①たたかいの中で埼玉の仲間自らの組織をつくりあげたこと、②埼玉の実情にあった政策と方針、運動をもちえたこと、③要求の全面的な実現にむけ革新統一戦線の結成をめざす方針をかかげ結成されたことなど、その意義は大きく、建設労働者・職人と民主的な運動に大きな激励となりました。
~戦前の建設職人のたたかいから
1866年(慶応2)6月、埼玉県西北部・名栗村を起点にたたかわれた「武州世直し一揆」は、10万余の農民らが参加し、大闘争に発展しました。名栗村の大工の紋次郎、桶屋の豊五郎はその先頭にたちます。一揆は大弾圧をうけ敗れてしまいますが、幕藩体制の崩壊を早めるうえで大きな役割を果たしました。
1884年(明治17)11月、自由民権運動の高まりのなかで、秩父地方で困民党が組織され、農民らが高利・重税・困窮から自由を求め立ち上がりました。この「秩父事件」に参加した建設職人は、大工44人をはじめ100人をゆうに超えるものでした。
日本に労働組合が結成される前から、建設職人はたたかい始めています。1890年(明治23)2月、東京・青山の石工が賃金引き上げを要求して12日間のストライキをおこない、要求を勝ち取り、1891年(明治24)1月にも、東京で石工1300人がストライキをおこない、賃上げを勝ち取っています。1888年(明治21)から1912年(明治45)までの25年間に、建設労働者の争議件数がゼロの年は、2年しかありませんでした。
1897年(明治30)、「労働組合期成会」のよびかけにこたえ、関西では石工、木工を中心に期成会の支部づくりがすすめられました。1912年(大正1)結成の「友愛会」は、15人で設立されましたが、第1号会員は鈴木文治、第2号会員は岡村重次郎(畳工)、幹事に高橋秀雄(電工)、伊藤友吉(大工)が選ばれています。
非合法であった「日本労働組合全国協議会(全協)」の産業別組合確立の方針をうけ、1931年(昭和6)、「日本土木建築労働組合」が結成されます。組合員は2750人、タイル工、鉄筋工、衛生・暖房工、大工、塗装工、左官などの分会がありました。31年11月、東京の石工、約2千数百人が、賃下げ反対と石工組合の民主化をかかげ全市ゼネストがおこなわれました。これにより国会議事堂、明治生命本社、上野駅などの石材加工現場には、1人の石工の姿もなかったといわれます。
戦時中たたかいつづけてきた建設職人は、戦後、東京土建結成の中心になっていきました。
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