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埼玉土建の歴史と活動⑥~埼玉に根をひろげて発展-建材買占め・売り惜しみに大商社へ押しかけ
【埼玉土建本部】
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不定期で、埼玉土建の歴史と活動(ダイジェスト)を紹介していきます。
皆さんに埼玉土建の事をもっとよく知っていただけると嬉しいです。
【第6回】埼玉に根をひろげて発展②
建材買占め・売り惜しみに大商社へ押しかけ
1972年(昭和47)、田中内閣は「日本列島改造計画」をうちだし、地域開発や大型公共事業を推進、赤字国債を発行し、日銀は紙幣を増発しました。こうしたことから土地の投機やインフレをまねきました。大企業・大商社は、この事態を「千載一遇のチャンス」とばかり、土地、建設資材、原料などを買い占め、売り惜しんで価格をつりあげました。
埼玉土建は、結成1年余でしたが、木材の暴騰、ベニヤ板、ラスボード、電線、瓦、セメントなどの値上げに反対し、仕事とくらしを守るたたかいに全力をあげました。
73年3月には、「買い占めた木材をはきだせ」と全建総連の仲間とともに、怒りのむしろ旗を押し立てて中央決起集会(日比谷野外音楽堂)に結集し、6大商社への抗議行動をくりひろげました。
このとき埼玉土建の仲間363人は、伊藤忠本社ビルを取り囲み、抗議行動と交渉をおこなっています。このたたかいは新聞各紙が大きく報道し、テレビは全局がくり返し放映しました。
また埼玉土建は、県庁、通産省、林野庁交渉にものぞみ、政府の責任で建設資材の放出を強く要求しました。その結果、県商工部に窓口が設置され、埼玉では全国に先駆け12月からセメントの斡旋が開始され、秩父セメントなどから2930人の仲間に1172トンを放出させ、たたかいを大きく前進させました。
2年にわたるたたかいは、国民的要求を取り上げて政府・大企業を批判・追及する、国民的たたかいのうねりを急速につくりだすものとなりました。また労働組合運動や社会的な運動の高場の契機ともなりました。国会では衆院物価特別委員会が開かれ商社や大企業の代表が喚問されました。
73年春闘では、賃上げなどとともに年金、物価、社会保障など政府にたいする諸要求がかかげられ、年金統一ストがおこなわれ、74年春闘では、正式に「国民春闘」とよばれ、労働組合と政党、市民団体とでインフレ阻止国民共闘が結成され、春闘が発展しました。このとき交通ストを中心に反インフレゼネストに、81単産650万人が参加、そして史上最高の32.9%という賃上げを獲得しました。
1973年秋に、「石油ショック」が起きると不況とインフレが同時進行する事態となり、物不足、価格の高騰に拍車をかけました。石油製品が値上がりし、トイレットペーパー、洗剤、砂糖などの買いだめのパニックがおこり、木材・合板、電線、ボンド、ラスボードなどが店頭から姿を消す事態となりました。組合は建材闘争の経験をひきつぎ、地元では県指定の問屋、材料店に申し入れと交渉をりかえし、74年2月には、全建総連総決起集会(1万5000人)に参加し、財界の総本山・日本経済団体連合会(経団連)と交渉をおこない、大企業や大商社の売り惜しみ、価格つり上げなどを追及しました。この集会に埼玉土建から、組合員の24.1%にあたる1707人が参加しました。 |