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埼玉土建の歴史と活動⑮~建設産業民主化、危機打開のたたかい-建設業法などを活用し、不払い相談と対策をすすめる
【埼玉土建本部】
つぶやき
不定期で、埼玉土建の歴史と活動(ダイジェスト)を紹介していきます。
皆さんに埼玉土建の事をもっとよく知っていただけると嬉しいです。
【第15回】建設業法などを活用し、不払い相談と対策をすすめる
1990年代なかごろ、大手ゼネコンは大型公共投資のテコ入れなどで、安定した工事量と利益を確保しながら、中小建設下請業者や建設労働者・職人には、不況を口実に、コスト削減、低単価・低賃金を押しつけてきました。また「低価格住宅」をかかげた住宅資本による
町場支配がいっそう進行しました。こうしたなか、仲間の中で仕事量が減少するだけでなく賃金・工事代金がもらえない「不払い問題」が多発するようになりました。
埼玉土建は、賃金・工事代金の「不払い問題」の対策を、本格化させました。建設業法を駆使した取り組みと教訓の普及につとめ、不払い問題解決の体制の強化をはかってきました。
95年(平成7)9月、新たな運動の発展をめざして「不況打開、生活危機突破、埼玉建設職人総決起集会」(埼玉会館大ホール、1225人)に取り組みました。決起集会参加者は、埼玉県・各部局、県内大手ゼネコン・住宅企業の支店、建設業協会への申し入れを展開し、同時に40支部が地元企業、各自治体へ申し入れをすすめました。96年9月にも「怒りの総決起集会」(上尾福祉会館、997人)を開き、県庁10部局、県議会全会派、県内大手建設企業などへ要請行動をおこないました。
これらのたたかいを反映して97年(平成9)9月、埼玉県が元請企業の責任と解決を促す「土木部長通達」を出しました。これは不払い問題解決の大きな力となり、全国のたたかいの目標ともなりました。 不払いの相談は、集計を開始した95年4月以降、99年3月までの4年間で765件、43億7641万円がよせられています。建設業倒産にたいし民事再生法・会社更生法を活用し債権保護のたたかいを前進させ、また元請責任を明確にし、立替払いをさせ、不払い問題を解決させる取り組みを大きく前進させました。 |
不況打開・生活防衛・危機突破をかかげたたたかい
1997年(平成9)、橋本内閣がおこなった消費税5%増税、特別減税廃止(4月)、医療保険改悪(9月)による9兆円もの国民負担の押し付けは、消費不況をさらに悪化させ、深刻なくらしに追い討ちをかけました。東海興業など一部上場ゼネコンをはじめ、県内でも地場大手企業が相次いで倒産。建設業の倒産は、埼玉で全産業の約4割を占め、仲間の中から行方不明、さらには自ら命を絶つ仲間もあとをたたないほど危機的な状況がひろがりました。まさに塗炭の苦しみと言われる異常事態でした。
組合は、きびしい情勢のもと不況打開・生活防衛・危機突破をかかげ全力をあげてたたかいました。まず、急増する不払いの相談活動をつよめ、ゼネコン本社とも直接交渉しました。これらが国会でも取り上げられるほどでした(99年3月、参院建設委員会)。
97年3月には、県内要請行動に取り組み、9月には「生活危機突破、賃金単価引き上げ、仕事よこせ総決起集会」(大宮市民会館)開催、11月に「国民大集会」(代々木公園)に参加、98年2月には、春闘とあわせ全県47駅での大宣伝行動、県下63会場でのちょうちんデモ、3月中央集会(日比谷野音)、6月には、3土建1県連の主婦の会による「かあちゃん総決起集会」(日比谷野音)、9月に総決起集会(大宮市民会館)と県庁とゼネコン・住宅企業への要請行動、支部は自治体と地元企業への要請と懇談に取り組みました。 98年9月に、テレビが相次いで「不払い」問題を報道、仲間が実名で単価切り下げの実態などを告発し、社会問題となり、建設省は重い腰をあげ元請責任を明確にした「通達」を出しました。 |