お知らせ
原水爆禁止2015年世界大会・長崎
【埼玉土建本部】
機関紙「埼玉土建」
被爆者の歌声響き
平和を次の世代に引き継ぎ
被爆70年の節目の年となる、原水爆禁止2015年世界大会・長崎には、国内外から5000人が集い、核兵器廃絶に向けた決意を固めあいました。世界から核兵器をなくす決定的な転機にするため、世界的な交流が8月7日から9日にかけて行われました。
今年は1945年8月に原爆が投下されてから70年の年です。この年を私たちは「戦争法案」の廃案を求める世論と運動のかつてない高まりの中で迎えました。
5月に米ニューヨークで核不拡散条約(NPT)再検討会議が開催され、最終文書の合意には至らなかったものの、核兵器禁止条約が今後の焦点になるなど意義のある会議となりました。
広島・長崎で8月6日、9日を中心に原水爆禁止世界大会が「核兵器のない平和で公正な世界のために~被爆70年を核兵器廃絶の転機に」と題して開催され、埼玉から広島大会に93人、長崎大会に101人(埼玉土建から45人)が参加しました。
私たちが参加した長崎大会で、田上長崎市長が「NPT再検討会議には、今後につながる要素がありました。核兵器のない世界の実現をあきらめるわけにはいきません。廃絶の課題は広島・長崎だけの話ではなく、世界の問題です。皆さんが地域で同じメッセージを発することで、みんなの問題だと気付くことができます」と訴え、また戦争法案についても「慎重で真摯な審議をおこなう」ことを求めました。大会には、ベトナムや中国、フランスなどの海外代表も駆けつけ「核兵器廃絶にむけて共に頑張ろう」と激励しました。また、全国から参加した仲間の運動を交流し、八歳の時に被爆した奥村アヤ子さんの体験談や、世界で唯一の被爆者だけで構成された被爆者歌う会「ひまわり」の力強い歌声に聴き入りました。
被爆者の平均年齢は80歳を超え、今も続く原爆の後遺症に苦しみながらも、被爆体験の継承、核兵器廃絶の歩みを続けています。今回、大会には多くの若者が参加し被爆者の実相をつかもうとし、長崎市では高校生平和大使として、署名活動が続けられていることなど、核兵器廃絶の運動が次世代に継承されていることがとても印象的でした。
様々な被爆者が「核戦争の残虐さを身をもって体験し『長崎を最後の被爆地に』の思いで声を上げてきました。戦争を繰り返さず平和な日本を次の世代に引き継ぐことも、被爆者の切実な願いです」と語っていました。奥村さんも話の最後に「戦争へ続く安保関連法案は絶対に許してはいけない。平和の原点は、人間の痛みがわかる心を持つことです。人間の痛みを理解し合えたら、核兵器と戦争はこの地球上からなくなります」と訴えました。核廃絶と戦争法案阻止の運動を更に強める決意をもった大会となりました。