お知らせ
埼玉土建の歴史と活動㉓~運動領域の拡大、社会的運動の発展―リーマン・ショック、国へ窮状打開を求め運動、急激な医療改悪攻撃、土建国保の新たな魅力を押し出し
【埼玉土建本部】
つぶやき(学習)
不定期で、埼玉土建の歴史と活動(ダイジェスト)を紹介していきます。
皆さんに埼玉土建の事をもっとよく知っていただけると嬉しいです。
【第23回】リーマン・ショック、国へ窮状打開を求め運動
「構造改革」路線がすすむなか、2005年(平成17)に、悪質リフォーム事件(3月)、橋梁工事談合事件(5月)、クボタ・ショック(6月)、耐震構造計算偽装事件(11月)など、本来、安心・安全の拠点となるはずの住宅・建設において、建設業界をゆり動かし、社会的な信頼を失墜させるような事件が相次いで起きました。
08年9月、アメリカ発の金融危機・リーマンショックが起き、またたく間に世界に広がり、株は暴落、世界同時大不況となりました。建設産業は、「構造改革」路線による様々な困難に直面していたうえに、さらに追い打ちをかけるように不況がおそったのでした。金融危機、投機マネーの暴走は、燃料油・資材の高騰をまねきました。
組合では、かつてなく深刻な仕事とくらしの窮状の打開めざし、全力をあげてたたかいました。
~チョット補足~ 仲間の「怒り」と悲痛な訴えを書き込んだ「要請書」をもって、9波にわたる波状的な国会行動に取り組み、08年9月の「原油と資材下げろ、賃金単価あげろ、建設不況打開、建設産業怒りの大集会」(日比谷野外音楽堂)にあわせ、800人の埼玉土建の仲間が国会前で怒りの座り込み行動を実施しました。この「怒りの行動」は世論となってひろがり、多数のマスコミが取材・報道しました。 地域では、トラック500台のデモで不況打開を訴え、仲間が生活困難になる緊急事態に「なんでも相談」に取り組み、また地域の団体・労組と力をあわせ、市民も対象に「相談体制・ネットワーク」づくりを開始しました。 |
仕事・就労対策、経営支援を強化し、仕事確保とあわせ宣伝チラシ80万枚を作成、全戸配布と団体申し入れをおこない「住宅の相談は埼玉土建へ」をアピール、また市民にインターネットを通じて仲間を紹介する「ホームドクターなび」をHP に開設(08年)、求人・求職情報の取り組みを大きく強化してすすめました。
急激な医療改悪攻撃、土建国保の新たな魅力を押し出し
政府と財界は、社会保障は「給付は厚く、負担は軽くというわけにはいかない」と、国民に負担増を強いる改悪を繰り返してきました。厚生省(当時)は、「10割給付」や「9割給付」の国保組合に、ペナルティ(補助金削減)を強化する方針を打ち出しました(2000年11月)。
こうした情勢を背景に、埼玉土建国保は2003年(平成15)4月、8割に給付率の変更を余儀なくされました。しかし給付率を変更しても建設労働者・職人の実態と要求にこたえた国保組合として魅力を持たせ、「償還払い制度」(入院は全額。通院は3000円以上、04年から1万円以上)を導入しました。
医療改悪の攻撃は、急激でした。さらにきびしくなる情勢のなか、国保財政と仲間の仕事とくらしなどを判断し、埼玉土建国保は、06年4月から「7割給付」へ移行することとなりました。しかし、国保組合への信頼と期待、自信をとりもどす新たな取り組みとして、「家族入院全額払い戻し制度」(06年4月)をつくりあげました。こうしたことを通じて、国保組合が建設労働者・職人にとってかけがえのないものであること、国保組合は私たちの手でつくり発展させること、困難には団結を強化してあたることなどの確信を深め、困難を乗り越えてきたのでした。
~チョット補足~ 2002年の医療制度改革による7割一元化をたてに、厚労省は「8割給付」に下げた国保組合にもペナルティをかけ、適用除外にたいする補助率も、04年4月から13.7%が13.0%に減額されました。さらに、05年11月、04年の所得調査の結果をもとに、普通調整補助金を15%から13%に下げてきました。05年、全建総連は、国保組合制度を守りきるため、「7割給付移行」への「提言」を出すのでした。 運動では、2002年の国民春闘と結合し、86カ所で開催した「2・20決起集会・ちょうちんデモ」の取り組みとあわせ、これまでつながりがなかった医療機関、医師会、薬局、町会・自治会、老人会、商店街・業者団体などに申し入れをおこないました。 02年秋から、全建総連400万署名、国会議員賛同署名に取り組み、03年7月、署名の中心部分の「建設国保組合の育成を求める請願」が、衆参両院で採択されました。 06年6月成立の「医療改革法」では、「後期高齢者医療制度」が新設され、08年4月から実施されましたが、この制度導入を境に、埼玉土建国保の財政状況は急激に悪化していきました。 12年8月には、「社会保障と税の一体改革」関連法案が、民自公3党合意で成立し、社会保障は自己責任が基本にすえられるようになりました。15年の「医療保険制度改革法」によって、「医療保険の一元化」の第1歩となる、国保の都道府県単位化(18年4月実施)が決まり、国保組合の定率補助は、普通調整補助金と同じように所得によって13 ~ 32%の段階に変わりました。 埼玉土建は、「社会保障全体の底上げなくして、土建国保を守れない」ことを運動の基本にすえて、政府の悪政やたくらみを学習によって明らかにし、中央・地域の両方で、世論をおこす宣伝・署名や共同行動を積み上げてきました。 |